2008年7月24日木曜日

IMDでの6ヶ月、そして後半スタート(あっきー)

7月から待ちに待った夏休み。今、Bayonneというスペインの国境近くの海沿いの町に来ています。

IMDでの生活も、インテンシヴなプログラム前半を終え、これまでの半年の道のりが、走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。最初の5ヶ月間は、毎日AssignmentsとGroup Worksで、怒涛の日々を送っていたため、物事をじっくり考えている暇もなく、とりあえずその日その日をやりくりするので精一杯だったので、時間ができたら、あれもこれもやりたいと思っていたのですが。。。

同級生とも話したのですが、テストも終わり、急に拘束がなくなり、いざ自由な時間ができると、とたんに拍子抜けしたような不思議な感覚に満たされるものです。自由時間といっても授業後の6時くらいからですが、一日に6時間近くも自由時間があるというのは、これまで半年間経験したことのない自由度なので、1時間の価値が1日分くらいに感じられました(笑)。

さて、テスト後夏休みに入る前に、Discovery Tripというのものがあります。IPE(International Political Economy)の授業の一環なのですが、発展途上国に直に足を踏み入れ、実際に現地の経済や政治、文化の一部を体験しながら、将来Global LeaderとしてBusinessを動かしていく際に、何が大切なのかを、考察するのが目的です。

今年はKenyaに行きました。10日間ほど、ナイロビとナイバシャに滞在し、前半は主に現地の企業化、企業のトップ、政治化(Ministers)等とのConference、後半は、サファリーやスラムを訪問し、現在Kenyaが抱えている問題や今後の経済発展に向けての課題を検討をしました。特にスラム街では、現地の子供たちと直接接触する機会があり、胸を打たれるものがありました。言うまでもなく、TVや本で見ているのと実際に眼と眼でコミュニケーションをするのとでは、感じ取るものの大きさに違いがあります。

Discovery Tripの後の3週間の夏休み。Program Directorも言っていましたが、この休みは単なる休暇ではなく、Trip中に感じたことをゆっくりと時間をかけて消化するための期間でもあります。6ヶ月間走り続けてきたからこそ、また3週間という自由な期間が、これまでになく貴重に感じられました。

いざ夏休みに入り、気づいてみるともう残り数日。。。リラックスした休暇もつかの間。来週から、また授業再開です。リフレッシュして、パワーアップした仲間との再会が、今からなんとも楽しみです。

あっきー

2008年7月3日木曜日

7/4 アフリカ旅行の感想3 (トモ)

6月29日、ナイロビ市内最大のスラムのひとつであるKorogochoのSt. John Catholic Churchを訪問しました。半分野外のスタジアムのようなバラック屋根の教会で、壁には黒人のキリストが描かれていました。そこで、地元の人たちに混ざりミサに参加しました。Father Danielは、大半をスワヒリ語で、ときどき英語で話されていました。2時間ぐらいの間、聖書の言葉を聞いたり、みんなで歌を歌ったり、Korogocho出身で博士号を取得した人をみんなでお祝いしたりと、楽しい雰囲気でした。ミサのあとFather Danielを囲んでKorogochoについていろいろと話を聞きました。Father Danielの「スラム街の人たちは世界がどのようにものであるかのVisionを必要としている。カソリックはそのひとつに過ぎない」という言葉が印象的でした。

昨年末から今年の初めにかけ、大統領選挙の不正選挙の疑いが民族間紛争に発展した際、まさに教会の前の通りを境に異なる民族に別れてKorogochoの人々が争っていたそうです。多くの場合、国家、民族、宗教といった概念は支配層により後付け的に統治システムとして形成されたもので、アフリカにおいても市民層は受益者よりも犠牲者となっていることのほうが多いと感じました。Korogochoには、ケニアの貧困層だけでなく、より大規模の民族紛争のあったルワンダスーダンからの難民も含まれているそうです。Father Danielは、劣悪な環境の中に身を置かざるをえないKorogochoの人たちに、そうした統治のための概念ではなく、世界とのつながりを提供し心身ともに健康な生活がすごせるようなVisionを提供しているように思えました。

植民地化の傷跡、爆発的に増え続ける人口、貧困、HIV、民族紛争、宗教による対立、汚職、高騰する食料価格・エネルギー価格、領土紛争、環境問題。どう組み合わせても解決することのできない絶望的なジグソーパズルのようです。 それでも世界は発展を続けようとしています。しかし現在先進国と呼ばれる国々がかつて通ってきた道を、現在発展途上国と呼ばれる国々がいま再び"発展"の名の下に通ろうとしていることをだれが拒むことができるでしょうか。またグローバライゼーションにより世界中の貧富の差がますます拡大しているとも言われています。こうした状況において、われわれは本当に"発展"しているといえるのでしょうか。

Korogochoの子供たちはいい笑顔をしていました。われわれはあの笑顔に救われているような気持ちがしました。

7/3 アフリカ旅行の感想2 (トモ)

6月26日、Nairobiから車で2時間ほどのNaivashaにて、生花ビジネスを営むHomegrownを訪問しました。 生花ビジネスはケニアの重要な輸出品目であり、欧州市場にてトップシェアを握っています。

Homegrownは、生花育成に最適な日光の強さ(intensity)を有するNaivashaの地の利を活かし、精緻なサプライチェーンと低人件費により国際競争力を獲得しています。生花の種類ごとに育成方法や注意点、カット方法などが異なり、従業員の長期的な技能向上が重要となるため、Homegrownでは従業員の7割を正規雇用としているそうです。このような遠隔地においても、優秀な人材の確保、絶え間ないカイゼンとInnovationを追求することで国際競争力を保っていることに本当に驚かされました。

特に記憶に残っているのは、HomegrownのGeneral ManagerであるMr.Wemer Griesselが、経営における重要項目として"Sustainability"を掲げていたことです。Naivashaの生花ビジネスはLake Naivashaの水に依存しているため、湖の周辺をとりまく自然環境の保護が必須となります。従来は地面に吸収されて地下から湖に戻っていた雨水が、近年では森林伐採により地表を流れ土と一緒に湖に流れ込むようになっているとのことです。森林伐採の背景には利益率の高いコーヒー・茶の農地の開拓、薪、住居空間の確保などがあり、現在のペースでは将来的にLake Naivashaがなくなることは確実だそうです。

そこでHomegrownを含むLake Naivasha Growers Groupでは、Lake Naivashaの水の利用量に応じて農家に課金することで効率的な水の利用を促すだけではなく、上流地域の社会と協力してお互いに繁栄を維持できる方法を模索しているそうです。更には、いくつかの農園では敷地内に独自の汚水処理施設を設置しLake Naivashaに綺麗な水を戻すようにしていました。政府の規制や援助金などは一切ないためすべての農家に汚水処理施設の設置を強制することはできなくても、100年、200年先のビジネスと自然環境のSustainabilityを考慮し、一般的には政府がすべきと考えられる市場の失敗にも自発的に対応しています。

19Cから20Cにかけて「未開な人々を文明化する行為である」という"高邁"な理由によりアフリカの植民地化は正当化されていました。現在はグローバライゼーションの名の下に、世界中にあり余る金融資本が投資先を探してアフリカの奥地にまで流れ込んでいます。Homegrownもその流れの一部ともいえます。Homegrownのビジネスは、アフリカの郊外までもグローバルの市場システムに関与させ、長期的かつ全体的な視野を通じて自然環境の保護とビジネスの発展を両立させようと試みています。こうしたグローバライゼーションは後世においてどのように評価されるのでしょうか。

現在のところグローバライゼーションについて、世界規模で貧困層を搾取する新たな植民地政策と糾弾する意見もあれば、技術と富の分配を促す傾向と支持する意見もあります。少なくともHomegrownのケースはグローバライゼーションの素晴らしい可能性を示しているように感じました。

2008年7月2日水曜日

7/2 アフリカ旅行の感想1 (トモ)

6月20日から6月30日までの旅程でDiscovery Expeditionでアフリカのケニアに行ってきました。多くのゲストスピーカーのプレゼンや各所の視察を通じ、政治、経済、社会、文化といろいろな角度からケニアについて考える機会を与えられました。帰り道にみんなと面白かった内容・つまらなかった内容を話したのですが、各人の興味により評価も様々であることもわかりました。BenoitのClosing Speechのとおり、このDiscovery Expeditionは自分の知らない外の世界の発見であるとともに、自分の中にある未知の世界の発見でもあったのだと思います。備忘録もかねて自分が個人的に面白いと感じた内容についていくつか記しておきたいと思います。

6月25日午前、Equity BankにてCEOのMr. James Mwangiのプレゼンを聞きました。Equity Bankは、従来銀行口座をもてなかった低所得者を対象にに金融サービスを提供するマイクロファイナンスで急成長を遂げています。土地や家屋を有さない低所得者は一般の銀行から融資を受けることはできません。そこでEquity Bankでは、たとえば未亡人であれば信仰心が高いことに着目し地域の教会の神父さんを、未成年の男性であれば叔父があらゆる進路の相談役となる社会的風習に着目し叔父を保証人とするなど社会の仕組みに注目し独自のビジネスを展開しています。

Equity Bankがマイクロファイナンスを通じて利益を上げているだけでなく、低所得者の生活レベルの向上に貢献していることに大変感銘を受けました。多くの企業がCSRの重要性を訴えている中で、マーケティングの一環として後付的に、時には偽善的とさえ感じさせるケースも見受けられます。 しかしEquity Bankの場合は、ビジネスそのものが価値の創造と社会の貢献を両立させるモデルになっていると感じました。このモデルにはCEOのJamesの価値観が強く反映されているよう印象を受けました。彼は”An organization cannot be better than its leader”と述べ、リーダーとして公共の利益を考えることで自らを人格的に高める必要性を感じているよう見受けられました。こうした彼の価値観が市場や社会に価値を提供するだけでなく、従業員にも生き甲斐を与えているように思います。女性役員の一人が”The bank gives me a reason to live”と言っていたのが大変印象的でした。

Jamesはプレゼンの最後にケニアが抱える課題として”Decolonize(脱植民地化)”を挙げていました。『ヨーロッパによるアフリカの植民地化で多くの人が自尊心(Self-Esteem)を失っており、アフリカ人としての誇り(Pride)の再構築が重要である』と述べていました。他のゲストスピーカーも『何でもか何でもすべて植民地時代のせいにするのはそろそろやめるべきだ』という意見が若者の間から出てきているということを指摘していました。いずれにしてもアフリカの心は独立から50年近く経った今でも深く傷ついたままなのでしょう。そしてJamesはEquity Bankというビジネスを通じ、植民地時代のことを忘れるのではなくアフリカ人としての誇りを取り戻すことで過去を乗り越えようとしているように感じました。