2008年12月30日火曜日

12/30 思うところ3 (トモ)

最後に思うところとしては、IMDでの1年間は人生のひとつの区切りとなった、ということです。

僕にとって2008年は1999年に就職 してから10年目に当たる年です。IMDの受験に際し今までの社会人生活を振り返ったときに感じたことは、ただただ生き急いできた、という恐れにも似た感覚です。自分にとって何が大事なのか、どのようなことがしたいのか、そこにどのように到達するのか、といった自分の価値観とじっくり向き合うことなく、がむしゃらに目の前のバーを飛び越えることだけを考えてきただけからなのかもしれません。そのようなことを考える材料や枠組みを十分もっておらず考えることができなかった、のかもしれません。そのため、本当にこのまま走り続けよいのか、自分が行きたい方向に走っているのか、という漠然とした不安が心の奥にあったのかもしれません。
IMDでの一年間は、まさにそうした自分の抱える価値観と真摯に向き合う時間でした。自分は何者なのか、何がしたいのか、今という特定の時代においてなにをすべきなのか。しばらく時間の流れの外に身を置くかのように、まったく違う切り口から今までの自分の経験とこれからの方針について整理する時間となりました。それはまるでブックエンドのように、今までの人生で積み重ねられた経験を整理し束ねるとともに、今後の新たな経験を積み重ねていくための仕切りとなりました。
IMDではカリキュラムとして用意されている規定の内容を習得するのではなく、生徒ひとりひとりの今までの体験を材料として自分について学ぶプロセスであったのだと思います。IMDのMBAは真に個人的なプログラムであり個人の体験から学ぶプロセスなのだと思います。

こうした点から、この1年間は、単に資格取得や一時停止のための期間としてではなく、今後の人生の土台や支えともなる発展的な時間でした。IMDという装置により世界から集まった90人のまったく異なる人生がひとつに凝縮されてとてつもないエネルギーを生み出し、そしてまた世界に散っていったのかもしれません。こうして振り返ってみると、IMDでのこの1年間はいままで体験したことのないほど充実した時間であり、今後もそこからいろいろな意味が生まれてくる貴重な時間であったのだと改めて心にしみてくるのでした。

12/30 思うところ2 (トモ)

第二に思うところは、IMDでの1年間は学ぶ期間ではなく忘れる期間だった、ということです。

IMDのMBAコースは、卒業後にGeneral Managementにつくことを想定し設計されており、最初の半年には基礎科目(Building Blocks)として、戦略、マーケティング、財務・会計、組織開発、といった経営に必要な最低限の知識を習得できるようになっています。MBA修了後には、ビジネスケースを戦略的な視点、財務的な視点、組織・人事的な視点など様々な観点から総合的に判断できるようにはなっています。

しかし、今年学んだことを聞かれても、『業界の成功要因(Key Success Factor)に基づいて企業固有の強み(Core Competency)の有効性を判断し、NPV(Net Present Value)から中長期的な企業価値を戦略的に判断することができるようになりました』みたいな上滑りな答えはとっさに思い浮かばず、僕の口をついてでるのは「なんにもできなかった(無力感)」「とにかく疲れた(疲労感)」「結局のところよくわからなかった(困惑感)」といったダメダメ感いっぱいの感想のみです。

もちろんこれは僕個人の私的な感想ですし、90人の中には当然異なる感想もあるとは思うですが、少なくとも僕にはこの感想が僕一人だけのものとは思えません。むしろIMDの1年間で挫折を感じなかった生徒は皆無だと断言できます。そして僕個人の場合には、一言で言えば、”今までやってきたやり方では今後通用しない”ということを学びました。自分の知識や経験がいかに限られた範囲のものであるかを痛感するとともに、興味や関心の持ち方でいかに知識や経験の幅を広げられるかも学びました。今までの知識・経験をリセットできた、というと聞こえが良すぎるかもしれません。実際には自己嫌悪と他者憎悪を行き来しながら極度の精神的な負担を誤魔化しつつ、あまり使うことのなかった脳のある部位にアクセスし、今までつむぎあげてきた回線を一旦はずして改めてつなぎなおしていくつらいつらいつらーい作業です。そうした容易ではないことをIMDの1年間を通じて学んできた、というよりむしろUnlearningしてきたよう思います。

格好良く言えば、『IMDでは「無知の知」を学んできました』ということになるかもしれませんが、周囲からすれば「高い金かけてなんじゃそれゃ」という結論であり、あまり世の中的には受けないなぁ、と思うのでありました。

12/30 思うところ1 (トモ)

12月3日に卒業式、そして12月15日に日本に帰国。ローザンヌでの生活が終わってからほぼ1ヶ月。今ではまるでIMDでのつらい1年間が人生という線上にのらない離れた点として彼方に置きざれにされ、去年の昨日と今年の今日が滑らかにつながってしまったような錯覚すら抱きます。

帰国後、IMDでの1年間について人に聞かれる度に、自分なりにこの1年間はなんだったのかを改めて考えさせられています。IMDでは思い出せないくらい多くの経験をし、特に消化の難しいつらい経験は意識下に眠ったままでいまだに言葉にしてあらわすことができないでいるかもしれません。なのでとりあえず、”帰国後の感想”としてIMDでの一年間の体験が自分にとってどのような意味を持っていたのか、その「思うところ」を記しておきたいと思います。


まず第一に思うところは、IMDでの1年間は”現実”よりもより現実と向き合えた、ということです。

最初の半年間の土日も含めて毎日朝8時から夜の12時近くまで勉強する環境は想像を超えるつらさでした。入学してから3ヶ月ぐらい経過した頃から、「はやくこの異常な(Crazy)な環境から抜け出して現実世界 (Real world)に戻りたい」「こんなことは現実(Real world)では起こらない、IMDは特別な環境(Unusual environment)なのだから」などといろいろな言い回しで、「IMDは現実ではない」というメッセージが聞こえ始めてきました。

IMDに来る学生の平均年齢は31歳、勤務経験は7年程度と、他のMBAの学生よりも多くの国際的経験を積んでいます。しかし困難な課題を前に、心底悩み苦しまされることになります。そうして自分達が今まで築いてきた能力・知識が通用しない無力感に対する苛立ちから、この環境を「異常な環境」とすることで自らを正当化しているのかもしれません。それは自らを劣った存在として認めたくないという人間の”健全な”本能レベルでの拒否反応のようにも見えます。また、向上心と野心の高さだけは共通しながらも国籍や文化、性別、職歴など様々な点で多様性に富んだ90人が極度の肉体的・精神的なプレッシャーに晒されるわけですから、そこには「当たり前」といった共通の前提は皆無に等しく、グループ全員が納得するかたちで成果をだすことは難しいため、無力感を感じるのも至極当然であるともいえます。

逆にいえば、今まで経験してきた”現実”世界には、日常生活のひとつひとつの出来事に脳の力を使わずに深く考えることなく効率的な、ある意味では盲目的な対処を可能にする常識・慣習・権限といった「当たり前」があり、必要以上の無力感や徒労感を感じることがないようにまろやかになっているのかもしれません。そうした「当たり前」に疑問を投げかける者は社会の秩序という名の効率性を破壊する「悪者」であり、社会から抹殺されすらします。

しかし「当たり前」のないIMDでの1年間は、生徒間に公式の上下関係や役割分担はなく全員が同じ”MBA候補生”として横一線であるため、頼れるのは自らの人間性だけになります。一方では自分が「当たり前」と思っていた秩序に従わない他者は「悪者」として写りあたかも自分が秩序の番犬のような錯覚を抱きながら、他方では自分の「当たり前」があまりに通用しないことからそれに疑問をもち自ら秩序を変える「悪者」を演じる必要性を感じるという、なんとも訳がわからない状態に陥ります。そうした環境下において、”現実”世界では「当たり前」というオブラートに包まれて見過ごしていた自他の存在に改めて直面し、対応を迫られ、もがき苦しむことで、”現実”よりも生々しい現実を感じることになります。むしろ、そうした裸の勝負を通じて学んだからこそ、心の奥底にまで響く何かが残ったのかもれません。

裸で勝負するわけですから、裸になるための環境がしっかり整えられている点では人為的な現実であるともいえます。優秀な教授陣、洗練されたコース設計、すばらしい景色、おいしいランチ、監獄のような作業部屋、そして個性豊かな90人の生徒。しかし、これだけの土俵を整備せずには、スーツと名刺に保護された”現実”から離れることは困難でしょう。むしろ30歳を過ぎたおじさん・おばさんが恥ずかしげもなく裸で現実に向き合える土俵が整備されているIMDは真に稀有な場であると思うのです。

2008年11月8日土曜日

家族との生活(げん)

7月末に、娘が東京で生まれました。ちょうどIMDの夏休みで、東京に戻り立会いしました。この件に関してMBA Diaryにエントリーしましたが、リンクがこちらです↓
http://www.imd.ch/programs/mba/programstructure/diary_detail.cfm?articleId=4392

10月に、妻が2ヶ月の娘を連れてロザンヌにやってきました。今は、家族と一緒に最後の3ヶ月をロザンヌでゆっくり過ごしています。ICPが忙しいと言っても、拘束時間が全然短くなったから、毎日家にいる時間が圧倒的に増えました。もし、家族と一緒に来る予定があれば、夏休み後に来てもらったほうが絶対いいんです。前半だと、殆どあえないと思うし、学校に専念したほうがいいと思います。

今週僕のICPが終了したから、毎日午後家族とレマン湖に行って散歩してくるか、町中心のサンフランソワのスタバーに行って、本を読んだりしています。

秋のロザンヌがとてもきれいです。まだ天気があまり寒くないし、とにかく木の葉っぱの色が鮮やかできれいです。空気が本当に澄んでいて、お腹いっぱい吸うと全身の細胞が喜んでいることが分かります。

この頃になると、ロザンヌがいいところだなぁと思うようになります。クラスメートもみんな口を揃えて言います。しかし、ここがFairy Taleの世界です。いろんな意味で、too good to be true。

実は今僕の心境は、早く”現実”に戻りたい気分です。

2008年11月3日月曜日

11/3 卒業式の1ヶ月前(トモ)

ついに卒業式まで残り1ヶ月となりました。

残り2週間のICPに土日も学校にきて忙しくしているチームもあれば、早々と終了し学校にはランチのためだけにくる生徒もいます。就活の状況はといえば、Offerをもらった生徒は正式な契約を結ぶ段階にきているようです。おそらく再来週から選択科目の授業が開始するのでその前には、ということでしょうか。一方では遅々としてすすまない面接プロセスを根気強く進めている生徒も多くいます。各人それぞれの状況の中でなんとなく忙しない日々をすごしながらも、残り1ヶ月という事実だけは全員平等に課せられた現実です。

先週の金曜日と今日、IPE(Internaltional Politics & Economy)のクラスを担当したJean-Pierre LehmannからIMDのマネジメントならびにMBAの生徒にむけてメールが送られてきました。内容はMBAの校舎のまわりの樹木を取り除き新たにつくられた駐車場についてです。彼のメールは冒頭から、樹木がなくなったのを見て今年これほどまで怒り心頭に達した経験はない、と強い口調ではじまり、21世紀における"進歩"とは、多くの樹木や自然とより少ない車とコンクリートであり、IMDのこの行為は"Vandalism(公共の破壊)"であると厳しく糾弾しています。

その上で現在の金融バブルの崩壊も、金融システムの破綻ではなく、現在の社会が有する価値観や社会システムそのものの限界を示すものであり、現在の方向のまま今後も世の中がすすめば、「最善の場合でも、唯物主義的な価値観から、より精神的な事柄、人と人との関係や人間性に着目した価値観への転換が起こるだろう(Perhaps the most optimistic scenario that could come out of this great disruption is a major shift in values, less materialism, more attachment to spiritual issues, to relationships, to humanity)」と警鐘をならしています。

このメールをもらったときMBAの大半の反応は、JP(Jean Pierreのこと)はいったいどうしちゃったんだろう?、的な半ば失笑ともとれる態度が、少なくとも表向きは多かったようです。ただ、たしかに自然の代わりにMBAの校舎の周りに現れた新しい駐車場を通り過ぎてみると、こうした態度こそがJPの危惧しているものであり、根本的なところから考え直さなければならない時期が来ている、というJPのメッセージはJP的なProvocative(挑発的な)な内容ということを差し引いても本当に考えなくてはならないのかもしれないのかなぁ、とふと哲学したりしてしまっています。秋ですから。

こんなことを呑気に考えていられるのも残り1ヶ月。サラリーマン生活に戻ったら考えることのないかもしれない"よしなし事"を、IMDという知的刺激には事欠かない環境で考えてみるのも、残り1ヶ月の贅沢な過ごし方かもしれないなぁ、という心境の今日この頃なのでした。

2008年10月28日火曜日

10/28 就活の進展(トモ)

いよいよICP(International Consulting Project)も最終Phaseを迎えました。

今週の月曜日の朝一には、ICP CoordinatorであるJames Hendersonが最終Phaseの重要性について再度説明していました。が、出席者38名。中にはICP関連で出張に出ている生徒もいましたが、やはり就職活動の影響が大きいようです。最後の質疑応答の中にも「ICPは大変魅力的な取り組みであるが実施期間については再考の余地があるかもしれない」と暗に「就活に専念させてくれー」という心の叫びが聞こえてくる発言もありました。Jamesも状況をよく理解した上で「君たちは世界トップのMBAの生徒だ。自分たちを誇りに思いたまえ。君たちならICPと就活ぐらい同時にできる。そして間違いなく就職は決まる。」と、励ましのエールを送ってくれました。

ICPは4つのPhaseに分かれており、Phaseごとに担当教授とクライアントにプレゼンテーションが必要になります。チームによっては頻繁に出張があるチームもあり負荷はまちまちですが、会社がIMDを訪問して企業説明会をする期間も別途設けられていること、数日間は企業を個別に訪問するための休暇も公式に設定されていることからも就活と同時並行できる範囲に負荷が設定されていると思います。

むしろ1年間という限られた期間を考えると、この時期に授業をすることは固定的に時間が割かれるため現実的ではないこと、個人作業、チーム作業を使い分けることでプロジェクトであれば柔軟に時間を使えること、さらにはスイスの山奥で半年以上も武者修行をして浮世離れしてしまった感性を徐々に現実世界に戻すことなどを考えると、この時期のICPは個人的にはうまい設計だと思います。

しかしながら、これらの意見は"まったく就活をしていない"という小生の意見かもしれません。今週の時点で最低でも1社からOfferをもらっている生徒はおそらく半分にもいまだ達していないようです。また金融危機のために採用プロセスを途中で打ち切る企業や、Offerを出していながら勤務開始時期を大幅に遅らせる企業などもでています。こうした状況下では心理的な不安はかなり高い状況にあると思われます。

今日はDiwaliというインドの大きな祭日でもありました。偶然でもあるのですが、チームメンバーのMattの発案で、朝から部屋に電気コンロ、卵、小麦粉、数々のトッピングを持ち込み、みんなでパンケーキを焼いてワイワイ食べました。自分たちでお祭りをして、残された時間を最大限活用するために自らを奮い立たせてがんばっているのかもしれません。生徒89人とすごす期間もあとわずか、ファイナルカウントダウン(←ふるすぎ)がはじまった感じです。

2008年10月5日日曜日

10/5 最後のリーダーシップペーパー(トモ)

来週の月曜日は第三回リーダーシップレポートの締め切りです。

リーダーシップレポートというは、IMD MBAの中心コースとなっているリーダーシップクラスの課題で、1年を通じて全3回あり毎回テーマは異なりますが苦しみはだいたい一緒です。

今回で3回目なので自分なりの書き方というのができてきたのですこし記しておきたいとおもいます。

まずは日々の学校での出来事、思考、行動、発言などについて回想していきます。その中で特に思い出すだけでもムカムカしてくる!!!というものや、かなり凹んだ、というような事件をできるだけ詳細に思い出していきます。ここでは気持ち的なボルテージが高ければ高いほど良しとします。だいたいこの作業を終わらせるのに1週間ぐらいかかり、夜の眠りが浅くなります。そして、そのままレポート書くモードに突入すると、痛烈な他人の悪口か、もしくは反省文になってしまうので、2-3日しばらく放置します。

そして気分を入れ替えたところで、もう一度いろいろな自分のかかわった出来事を振り返り、できるだけ他人事として少し離れて客観的に見たときに、一体全体何が起こっているのか、というのを考えます。できるだけ自分にまつわる夜も眠れない出来事を、ああ、あるある、そういうこと、みたいなノリで味気のない客観的な文章として書いていきます。ここでもし事件が足りなかったらダンジョン(グループが勉強している部屋)に戻り、すこしヤンチャな行動をすると、すぐに夜も眠れない記憶が手に入ります。

この思考作業を頭の中で一定期間繰り返していると、ある一定のパターン、大きな法則のようなものが見えてきます。それがもっともらしいか、自分の中で具体的な出来事に照らし合わせて確かめて、よさそうであれば、それをレポートに書き込んでいきます。それをまとめたものがリーダーシップレポートになります。

クラスの中でもリーダーシップレポートになんで点数をつけるのかがよくわからない、点数の基準がわからない、そもそもJack Wood(リーダーシップクラスの先生)が嫌い、などと意見はかなり分かれるのですが、個人的にはこの作業がIMD MBAの醍醐味でありもっとも発見が多い課題だと思います。

と、レポートを前にブログの世界に現実逃避をして気分転換をしながらも、
自己嫌悪な反省文にならないように一生懸命考えたいと思います。
(最近は絵をかかなくなりyoutubeで安易にしめくくっている・・・)