2008年7月3日木曜日

7/4 アフリカ旅行の感想3 (トモ)

6月29日、ナイロビ市内最大のスラムのひとつであるKorogochoのSt. John Catholic Churchを訪問しました。半分野外のスタジアムのようなバラック屋根の教会で、壁には黒人のキリストが描かれていました。そこで、地元の人たちに混ざりミサに参加しました。Father Danielは、大半をスワヒリ語で、ときどき英語で話されていました。2時間ぐらいの間、聖書の言葉を聞いたり、みんなで歌を歌ったり、Korogocho出身で博士号を取得した人をみんなでお祝いしたりと、楽しい雰囲気でした。ミサのあとFather Danielを囲んでKorogochoについていろいろと話を聞きました。Father Danielの「スラム街の人たちは世界がどのようにものであるかのVisionを必要としている。カソリックはそのひとつに過ぎない」という言葉が印象的でした。

昨年末から今年の初めにかけ、大統領選挙の不正選挙の疑いが民族間紛争に発展した際、まさに教会の前の通りを境に異なる民族に別れてKorogochoの人々が争っていたそうです。多くの場合、国家、民族、宗教といった概念は支配層により後付け的に統治システムとして形成されたもので、アフリカにおいても市民層は受益者よりも犠牲者となっていることのほうが多いと感じました。Korogochoには、ケニアの貧困層だけでなく、より大規模の民族紛争のあったルワンダスーダンからの難民も含まれているそうです。Father Danielは、劣悪な環境の中に身を置かざるをえないKorogochoの人たちに、そうした統治のための概念ではなく、世界とのつながりを提供し心身ともに健康な生活がすごせるようなVisionを提供しているように思えました。

植民地化の傷跡、爆発的に増え続ける人口、貧困、HIV、民族紛争、宗教による対立、汚職、高騰する食料価格・エネルギー価格、領土紛争、環境問題。どう組み合わせても解決することのできない絶望的なジグソーパズルのようです。 それでも世界は発展を続けようとしています。しかし現在先進国と呼ばれる国々がかつて通ってきた道を、現在発展途上国と呼ばれる国々がいま再び"発展"の名の下に通ろうとしていることをだれが拒むことができるでしょうか。またグローバライゼーションにより世界中の貧富の差がますます拡大しているとも言われています。こうした状況において、われわれは本当に"発展"しているといえるのでしょうか。

Korogochoの子供たちはいい笑顔をしていました。われわれはあの笑顔に救われているような気持ちがしました。

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